第7回殿堂入り (平成14年度)
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橘ノ円都(タチバナノエント) 落語家 明治16年(1883)~昭和47年(1972) 享年90歳 |
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| 明治・大正・昭和期に活躍した落語家。 明治38年、二代目桂文団治に入門、団寿を名乗って初舞台を踏んだ。 明治45年、活動拠点を大阪から出身地の神戸に移し、橘ノ円の一門に入り橘家円歌と名乗った。 大正6年、橘ノ円都と改名。昭和初期一時的に引退したが、五代目笑福亭松鶴に請われ復帰。戦後大看板が次々に亡くなっていく上方落語界において、最後までかくしゃくたる 芸風で高座をつとめ、後進の指導にも尽力した。 ネタ数は多く、中でも浄瑠璃物が得意で「寝床」「軒付」「浄瑠璃息子」などを好んで演じた。 |
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桜川 末子・二代目 松鶴家千代八 漫才師 桜川 末子(サクラガワ スエコ) 明治34年(1901)~昭和62年(1987) 享年87歳 二代目松鶴家千代八(ニダイメ ショカクヤチヨハチ)) 明治41年(1908)~没年不詳 |
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| 大正・昭和期に活躍した漫才師。 末子・千代八は昭和29年から同49年まで続いたコンビ。 末子は大正10年頃、江洲音頭・桜川仙丸の門下に入り仙末女を名乗った。 同11年、荒川竹丸とコンビを組み、天満・朝日席で漫才の初舞台を踏んだ。 同13年に末子と改名し、桜川花子とコンビを組んで爆発的な人気を獲得した。 当時女性二人のコンビは珍しく、実力はもちろんのことだが、末子の愛らしい顔立ちとサバサバした口調のギャップも観客を大いに魅了した。 花子とのコンビは昭和20年まで続いた。その後、立美三好、高田久子とコンビを組んだ。 千代八は初代松鶴家千代八の門下に入り、八千代を名乗った。 昭和27年、夫でもあった初代千代八が亡くなり、二代目千代八を継いだ。 末子は声が良く音頭や数え唄では他の追随を許さなかった。その芸を舞台上で支えたのが千代八の三味線だった。 新世界・新花月の引退興行には、秋田實や吾妻ひな子ら豪華な顔ぶれが揃い、惜しまれながら舞台を降りた。 |
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吾妻 ひな子(アヅマ ヒナコ) 漫談家 大正13年(1924)~昭和55年(1980) 享年56歳 |
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| 昭和期に活躍した漫才師・漫談家。 昭和15年頃、父である浅田家日佐治の門下に入り、小日奈を名乗って初舞台を踏んだ。 一時的に室町京子と名乗り歌手として活動した。 その後、漫才に復帰し、吾妻ひな子と名乗り、浮世亭夢丸や松鶴家光晴らとコンビを組んだ。 愛らしい容姿と達者な話芸が観客に支持された。 昭和39年頃から三味線を手に一人高座に転向。「おんな放談」と銘うって、甘い舌足らずな語り口の漫談で芸域を確立し、ノンキ節にのせて世相を風刺した高座で人気者となった。 |
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